躰道の歴史

躰道の歴史

 

躰道は昭和40年、故・祝嶺正献最高師範により創始された武道である。

大正14年に沖縄に生まれ、8才の頃より空手を修練していた祝嶺正献最高師範は18歳で海軍に入隊。

日本海軍特攻隊員として敵艦攻撃の内命を受け、肉迫必中の術策を思案する。

当時の海軍特攻隊の攻撃方法は『蛟竜』という小型潜航艇で敵艦に体当たりするというものであった。

死を目前にした極限状態のなかで三次元の運動空間を利用した動態の発想を得て、後に躰道を創始する母体となる。

ところが昭和20年8月、出撃命令の下らぬうちに終戦を迎える。

復員した後、昭和21年大分県南海部郡明治村の山中、同23年沖縄県国頭郡久志村の海上にある無人島で運技・変技・転技の一部を創作し、昭和24年静岡県伊東市にて実技を初めて公開。

昭和28年には公式に『玄制流空手』を名乗り、その後約10年間東京を中心に大学・自衛隊・会社団体等120余りの関係道場で実験的に指導する。

その中で新武道を創造するための基礎的な内容を整え、昭和37年に旋技・捻技を完成。

昭和39年の玄制流の教本『新空手道教範』の完成を機に空手界とは袂を分かち、昭和40年に新武道『躰道』を集大成した。

※文中年号などの数字は「躰道概論」祝嶺正献著による。